指導教官との相性
卒業研究をする上で非常に重要な要素の一つとして、指導教官選びがあると思います。一生懸命研究すれば誰だって認めてくれると考える人も多いかとは思いますが、実はそうでない場合もあります。
かの有名なカントールは、学生時代に当時整数論の権威であったクロネッカーに師事していたわけですが、数に対する思想の違いが原因で指導教官のクロネッカーから様々な迫害を受け、結果的に精神を病んでしまいました。また、ブラックホールの存在を初めて理論的に指摘したチャンドラセカールも指導教官のエディントンに迫害された過去があります。僕の周りでもたまにこういった噂を聞きますし、僕自身も(迫害とまではいきませんが)世界で誰も解いたことがない方程式の解を導き出しても、「だから何だ」と言われ全く評価されないという状況におかれています。(そのおかげで研究室を変えるという決断ができたのですが…)
一方で、性格や学問的信条の相性がよい指導教官に師事している学生は、比較的のびのびと研究・勉強に励めているように見えます。
学者というのはいい意味でも悪い意味でも偏屈さを持っています。だからこそ相性によってこれほどにも扱いに差が出るのではないかと思います。
こういった理由から、研究室・指導教官選びは慎重にせねばなりません。
卒論終わり!
やっと卒論終わった!
最初出したときに端折っていた、とてもとても長い計算たちをちゃんと書いてみたところページ数が4倍になりました笑
お陰で卒論短すぎ問題も解決され、無事学位を取得できそうです。多分。
卒論再提出
先週卒論書き終わって提出したんですけど、短すぎてダメだって言われちゃいました。
コピペみたいな不正しなかったら何書いてもいい、どうせ誰も読まないから適当でいいって指導教官に言われたので、ならば読みやすいように出来るだけ簡潔に書こうと推敲を頑張ったんですけどね。長い式や文章を書くのが嫌だったと言うのもありますけど。
僕の指導教官は結構適当な人で、言うことがコロコロ変わるので本当にやりづらいです。提出した後になって気づいたんですけど、明らかな計算ミスが1箇所あったんですよね。でも、そこについては全く触れてきませんでした。多分、本当に読んでないんだと思います。ページ数だけ確認して、僕が頑張って推敲した文章には一切目を通してないんだって思うとなんだか悲しくなります。
とてもつらい
卒論発表会を終えて
卒論発表会
さて、いよいよ今日が卒論発表会です。
発表は午前午後に分かれていて、午前の部ではパワーポイントを使って1分間で研究の概略を発表し、午後の部ではポスターを使ってさらに具体的な説明をするといった感じです。
いわゆるポスター発表というやつですね。
発表の原稿何も考えてないんだけど大丈夫かな…
頑張ってきます。